2024年1月25日に神奈川県の病院にて、指名手配になっている”桐島聡(きりしま さとし)”と名乗る男性が現れました。
この男性は、捜査関係者によると、「桐島聡容疑者の可能性が高い」とされています。
今回は、桐島聡について記事をまとめてみました。
具体的な内容としては…
- 桐島聡は「なにしたか」を徹底解説
- 桐島聡の時効は成立しない理由とは?
この内容でお伝えしていきますので、ぜひ最後まで読んでくださいね。
さっそく行ってみましょう。
桐島聡は「なにしたか」を徹底解説
桐島聡が話題となっていますが、いったい何して、どんな事件だったのか見ていきましょう。
指名手配になった事件
1974年~1975年にかけて東京の企業が相次いで爆破される事件があり、桐島聡は『東アジア反日武装戦線』のメンバーとして指名手配されていました。
爆破された企業は、三菱重工や三井物産、間組などの海外に進出していた企業を標的とし、12件の爆破事件を起こしています。
桐島聡は、爆破事件のうち銀座にあった、『韓国産業経済研究所』のビルに爆弾を仕掛け、爆破させた事件に関わったとされ指名手配となりました。
『東アジア反日武装戦線』のメンバーは、次々と捕まっていきましたが、桐島聡だけは確保されず現在まで逃亡していました。
桐島聡はなぜ『東アジア反日武装戦線』のメンバーに?
桐島聡はなぜ『東アジア反日武装戦線』のメンバーに入ったのでしょうか。
要因となったのが、1969年に起きた『東大安田講堂事件』。
東大安田講堂事件とは?
全学共闘会議(全共闘)と新左翼の学生が東京都文京区の東京大本郷キャンパスにある講堂を占拠した事件。1969年1月18日から19日にかけ警視庁機動隊が大規模な排除作戦を実行。双方に負傷者が出た。60年代末に全国で発生した大学紛争を象徴する出来事。「登録医制度反対」などを訴える医学生に対し、大学側が学生の処分で対抗したことがきっかけで、のちに全学に拡大した。
https://www.jiji.com/jc/d4?p=tyk118-jpp02504685&d=d4_oldnews
この事件があった時は、桐島聡は15歳の頃で、「日本の学校は帝国主義的な管理だ」と、強く影響を受けたとされています。
桐島聡は高校卒業後に、明治学院大学法学部に進学し『宇賀神寿一(うがじんひさかず)』と『黒川芳正(くろかわよしまさ)』に出会い、反日思想を共有し始めました。
宇賀神寿一の顔画像
黒川芳正の顔画像
そんな中、三菱重工本社ビルの爆破事件が起こりました。
爆破を起こしたグループは、反日思想を掲げる集団『東アジア反日武装戦線』。
その後、桐島聡・宇賀神寿一・黒川芳正の3人はグループに加入し、連続爆破事件に繋がったとされています。
事件後、次々と逮捕され、宇賀神は懲役18年、黒川は無期懲役、を言い渡されました。
桐島聡だけが現在まで逃亡していましたが、今回自ら名乗り出たため話題となっています。
桐島聡の時効は成立しない理由とは?
ここで1つ疑問に思われた方もいるかもしれません。
「桐島聡が起こした爆破事件は、49年前のこと…時効では?」と。
結論述べると、時効は成立しないそうです。
連続企業爆破事件の多くは時効を迎えていますが、中には時効になっていない事件もありました。
時効が成立しない理由としては、逮捕・起訴されたメンバーの中に、1977年のハイジャック事件による超法規的措置で釈放され、国外逃亡した人間がいたことが関係しています。
裁判中に国外に逃亡することで、その人物が関わる事件の時効が止まるそうです。
桐島聡は、事件の共犯者だったことから、50年近く経つ今でも指名手配が有効になるそうです。
まとめ
桐島聡は、なにした?や時効が成立しないのかについてまとめてみました。
サクッとまとめると…
- 桐島聡は「なにしたか」を徹底解説
⇒1974年~1975年にかけて東京の企業が相次いで爆破される事件を起こした『東アジア反日武装戦線』のメンバーだったことから指名手配された。 - 桐島聡の時効は成立しない理由とは?
⇒逮捕・起訴された『東アジア反日武装戦線』メンバーの中に、1977年のハイジャック事件による超法規的措置で釈放され、国外逃亡した人間がいた。裁判中に国外に逃亡することで、その人物が関わる事件の時効が止まる。桐島聡は国外に逃亡した人物の共犯者だったことから現在でも時効が有効になっている。
この内容でお伝えしていきました。
桐島聡は、神奈川県の病院に末期がんで入院をしているとことから、今後のどのような流れになるのか注目されています。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
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